天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

子規から虚子へ

「仰臥漫録」実本

 ―近代俳句の夜明け―展が神奈川近代文学館で開催されている。「仰臥漫録」や虚子がメモした明治二十九年一月三日の「新年句会稿」などの実物を見ることが出来て幸せであった。虚子の自句朗詠にも感動した。レコードにしたものだが、どこかにCDを売っていないだろうか。
 三十四歳の若さで亡くなった子規に比べて、虚子は八十五歳の長寿を全うした。釈迦の誕生日という四月八日のことで、鎌倉の桜が散った。死の十日前に句会で次の句を詠んでいた。

      春の山屍をうめて空しかり

虚子の墓は、周知のように鎌倉扇ヶ谷・寿福寺の墓地にある。


      俳句読む虚子の声する弥生かな
      主人無き蕪村忌句会子規庵に


  東海の小島の墓地に葬られし技術者ありき青き目の人
  青松の下にゆたけく枝垂れたり朝光に照るエバーゴールド
  熊笹に子規がしたためし俳句五句朱墨は淡く今に残れり
  朗々と俳句を読める虚子の声文学館の部屋に聞こゆる
  実物の「仰臥漫録」見るほどに漢字、カタカナ、絵に
  気圧されつ


  明治二十九年の「新年句会稿」鴎外、漱石参加者のうち
  革新の糧となしたり病むまでに十二万句の俳句分類
  革新の一つなりけり今にある歌会、句会の互選形式
  子規庵に主人無くとも集ひけり蕪村忌句会の三十余名
  酒、肴もちて集へば手間いらず子規が主催の歌会句会に