天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

小池光のざくろの歌

二宮町吾妻山の麓にて

 今年の角川「短歌」八月号の特集「小池光の三冊」に、佐伯裕子が『草の庭』の歌につき鑑賞している。その中に次の作品が出て来る。


  柘榴の実うちおとしたる露人某そののち
  哭(な)きしことうたがはず


佐伯は、この露人について、「下敷きになるエピソードがあるのだろうか。セルゲイ・パラジャーノフ監督の『ざくろの色』という斬新なソ連映画を観たことがあるが、その映像のように、ロシア人と柘榴の実が強烈にイメージされる。某が誰か分からなかったが、かつて日本に滞在したロシア人ではないかと想像する。」とだけ述べている。佐伯は多分、俳句にはあまり関心がないのであろう。小池光のこの歌は、次の句の本歌取りになっている。


      露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す  西東三鬼


昭和二十三年刊行の第二句集『夜の桃』に出て来る有名な俳句である。三鬼自身の自句自解『三鬼百句』(現代俳句社)で、彼は次のように解説している。
「ワシコフ氏は私の隣人。氏の庭園は私の家の二階から丸見えである。商売は不明。年齢は五十六、七歳。赤ら顔の肥満した白系露人で、日本人の妻君が肺病で死んでからは独り暮らしをしている。」


補足すると、この句が作られた頃、つまり終戦前後、三鬼は神戸の山手に住んでいた。その家は、明治初年に建てられた異人館で、ペンキはボロボロ、床はブカブカで、各室二十畳位の、ガランガランとした部屋ばかりであった。誰が名付けたか「三鬼館」と呼ばれていた。
(この情景は、西東三鬼の自伝「神戸」第六話ドイツ・シェパードに描かれている。)

 引用の小池光の歌のポイントは、言うまでもなく下句にある。この露人の慟哭を想像させる措辞が、三鬼の句の「叫びて」にあることは明らかであろう。小池の歌は、三鬼が匂わせた感情の深みを言い当てているのである。