天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

下曽我の梅林

下曽我の梅林にて

 例年、梅の花咲く季節には、下曽我の梅林を訪ねる。JR国府津経由下曽我駅で下車、中河原梅林、瑞雲寺、宗我神社、城前寺、別所梅林、国府津駅へと歩くのが我が定番のルートである。花は七分咲きといったところか。それだけ花の光に生命力があふれていた。
 曽我兄弟と父母の墓がある城前寺の裏庭にも白梅、紅梅が咲いていた。


      宗我神社曽我村役場梅の中     高浜虚子


この句、実にシンプルだが、梅花の季節の下曽我の情景をよく表している。句碑が城前寺の裏庭にある。
 曽我兄弟の仇討は、源頼朝富士の巻狩りに際してなされたもので、『吾妻鏡』建久4年5月28日の項に述べられている。だが、その経緯は込み入っているので、ここに述べることは控える。


      梅の枝の伸び追ひかけて莟かな
      玉なせる宿木見上ぐ曽我の春
      園児らや梅の花咲く城前寺
      城前寺紅梅下の虚子の句碑
      紅梅の梢が画す白き富士
      のびやかに梅の枝青し曽我の春
      白雪の富士まなかひに梅まつり
      白梅の朝の光に気圧さるる
      下曽我の梅の中なる富士の峰
      宿木の青く息づく冬欅


  遠目には冬枯れの村下曽我は近づくほどに梅咲ける見ゆ
  梅の枝の伸びさかんなる梅林のかなたに白き富士立てり見ゆ
  宿木の青き繁りは玉なして欅の末に冬を息づく
  大いなる曽我兄弟の遺蹟碑の左右に咲きぬ白梅の花
  兄弟と父母の眠れる墳丘は曽我城土塁の跡と伝ふる
  仇討を遂げて死にたる兄弟の墓は清しく古りにけるかも
  苔むせる曽我兄弟の奥津城に目近く寄れば紅梅匂ふ


 山側では、蜜柑の出荷作業が今も続いている。