天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

向日葵

二宮町吾妻山にて

 ヒマワリは北米原産のキク科の一年草。種子は灰白色で食用、石鹸材などになる。花言葉はあこがれ。日の照る方に向かって花が回ることから名が付いた。ただこの目で確かめてはいない。下にあげる古泉千樫の歌があるので、実際を定点観測した写真が見てみたい。ペルーなどでは、太陽神のシンボルとしてあがめているという。


  大きなる蕋くろぐろと立てりけりま日にそむける日まはりの花
                      古泉千樫


 以下には、寺山修司の全歌集から、向日葵の歌を全て抜き出しておこう。

  向日葵は枯れつつ花を捧げおり父の墓標はわれより低し
                      『空には本』
  わがシャツを干さむ高さの向日葵は明日ひらくべし明日を信ぜむ
                      『空には本』
  枯れながら向日葵立てり声のなき凱歌を遠き日がかえらしむ
                      『空には本』
  向日葵の顔いっぱいの種子かわき地平に逃げてゆく男あり
                      『空には本』
  農家族がらくた荷積みうつりゆけり田に首垂れて向日葵祈る
                      『空には本』
  一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき
                      『血と麦』
  鋸の熱き歯をもてわが挽きし夜のひまわりつひに 首無し
                      『田園に死す
  旧地主帰りたるあと向日葵は斧の一撃待つほどの 黄
                      『田園に死す

23歳の時に刊行した処女歌集『空には本』に最も多く向日葵を詠んでいることになるが、その内容から希望と気負が感じられる。


  若き日の希望と気負なひまぜに向日葵の歌 寺山修司


[追伸]朝に掲載したブログ内容から、寺山修司の歌を多く引いたことに気づき、改めて
   全歌集に当たって調べた次第。したがって朝の内容とすこし変わっている。