天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

洪水の後

洪水後の酒匂川

 今年の台風九号による大雨でいくつかの地域で洪水が発生した。神奈川県下では、酒匂川の氾濫がニュース映像に流れた。足柄紫陽花まつりの際には、決まってこの川を訪れるほど馴染んでいるので、今回の洪水の後を見に行った。依然濁流が残っていたが、水勢はぐんと落ちていた。水が着いた岸辺の草花がなぎ倒されて、泥にまみれていたのは見慣れた光景だが、川の中洲に多くの鷺が並んでいるのにはびっくりした。水が濁っているために魚影が見えないのだ。
 今迄気付かなかったのだが、田んぼに沿った道に、昔使われた治水工法のいくつかがモデルに組まれてあった。酒匂川の流域は、昔から洪水で悩まされていたことがよく分かる。


     堰堤の鷺が見つむる濁り川
     水ひきて頭もたぐる葛の花
     金銀のリボンきらめく稲田かな
     排水のホースを干せり出水後
     昭和期の治水碑立てり赤とんぼ
     濁流の引きて蝉鳴く日射かな


  祖師堂を立てて見守(まも)りし酒匂川堤防越えむ
  と濁流は来し


  にごりては詮方もなし鷺あまた水面みつめて中洲に佇てり
  濁流のひきし中洲に白鷺のあまた集ひてあたかも眠る
  水漬きて汚れし岸の草叢にかぼそき声のちちろ虫鳴く
  濁流のひきし岸辺の葛むらに現れ出でし黒き自転車
  茎も葉も濁流に汚れ残りしが花輝けり黄花コスモス
  そのかみの治水の手立て伝へたり濁流ひきし川の辺の道
  釜鍛工(かまたんこう)、木工沈床(もっこうちんしょう)、
  聖牛(せいぎゅう)と今はむかしの治水の手立て


[参考]治水工法のモデルにつけられていた説明による。
*釜鍛工(かまたんこう):
  洪水により川の水位が上がると、堤内地(堤防より陸地側)に
  漏水が生じることがある。漏水が進むと堤外地(堤防より川側)
  から堤内地にかけて堤防内に空洞(水道)ができ漏水と共に土砂
  が流出しえ破堤に繋がる(パイピング現象という)。釜鍛工は
  漏水個所を中心に土嚢で囲い、水を貯え、その水圧により水の
  噴出を防ぐ。


*聖牛(せいぎゅう):
  丸太を合掌状に組み合わせ、重しとなる蛇籠を載せて川の中に
  設置し、洪水を防御する水制の一種である。洪水時には濁流と
  共に上流から大小の石が流れてくるが、聖牛は水をはねながら
  徐々に土砂を上流側に堆積させ、この土砂と一体となって堤防
  を護る。聖牛は武田信玄が創案したものと云われ、信玄の勢力
  拡大により各地の河川に伝わった。酒匂川でも昭和初期に本箇
  所の九十間堤防で用いられていた。


*木工沈床(もっこうちんしょう):
  根固工(ねがためこう)の一種。根固工(ねがためこう)とは堤防
  護岸の前面設置して洪水による護岸脚部の洗堀を防御するもの。
  明治初年にオランダ人技師により伝えられ、大井川などで
  1950年頃まで盛んに施工されていた。
  高度成長期にはコンクリートブロックを使用した根固工が主流に
  なったが、河川環境への配慮から自然に優しい木工沈床が見直
  されて再採用されている。