天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

藤沢宿

広重絵

 東海道五十三次の宿場の一つ。時宗総本山の遊行寺江ノ島詣の観光の拠点でもあった。宿場になったのは、慶長6年(1601年)のこと。藤沢公民館と藤沢市民病院の間には、藤沢御殿と呼ばれる徳川将軍家の宿泊施設があった。家康、秀忠、家光などが30回ほど利用したという。


     雉子啼いてひこばえの田を低く飛び
     義経の御首まつる石蕗の花
     川風に水銀(みづがね)なびく花すすき
     をちこちに作務衣の僧の落葉掻


  水道のパイプに棲まふ長元坊カラスの寄ればつがひにて追ふ
  土曜日の校庭につどひ蹴り上ぐる朝日に照れるサッカーボール
  くすみたる防音壁の路肩には背高泡立草の黄が咲く
  丈高き木に柿の実のかがやきて赤きペンキを塗るトタン屋根
  板割浅太郎の墓見つけたりさくら落葉の清浄光寺
  水澄める放生池は肌白き鯉あまた棲む清浄光寺
  丈高き楠の木の間に緑青の甍なだるる清浄光寺
  首と肩、足のめぐりを修理せる魚藍観音魚踏みて立つ
  杭立ちて「蒔田本陣跡」とあり旧東海道藤沢の宿
  病院にならびて立てる寺あれば死者の看取りの手早かりけり
  芋掘りし後の畑の畦に立ち鶏頭おもき鶏冠(とさか)に耐ふる