天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

蒲原有明

鎌倉薬師堂ケ谷

 蒲原有明(かんばら ありあけ)は、明治九年(1876年)三月十五日、東京麹町に生まれた。島崎藤村の影響を受けて詩の世界に入った。わが国近代象徴詩の代表格である。有明鎌倉宮から覚園寺へと続く薬師堂ケ谷の一角に居を構えたのは大正九年(1920年)三月のことであった。ここに、蒲原有明旧居跡碑が建立されたのは、今年二月三日のこと。つい半年前にすぎない。
 先日、強風の日に覺園寺から鎌倉宮に向って歩いていて碑に気付き、デジカメに撮っていたら、おじさんが現れてパンフレットをくれた。なんとその人が、有明のお孫さんの蒲原一正氏であった。川端康成が仮遇していたいきさつも話して頂いた。なんともラッキー。
 小さな碑文には、有明の「夢は呼び交す」という一文と「春鳥集」に載るあまりりすという詩が書かれている。以下には、パンフレットに紹介されている『有明詩抄』「牡蠣の殻」六節の内の初めの二節をあげる。


      牡蠣の殻なる牡蠣の身の、
      かくも涯なき海にして、
      生(いき)のいのちの味気なき
      そのおもひこそ悲しけれ。


      身はこれ盲目(めしひ)、巌(いは)かげに
      ただ術もなくねむれども、
      ねざむるままに大海(おほうみ)の
      潮の満干をおぼゆめり。