天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鑑賞の文学 ―短歌篇(12)―

砂子屋書房刊

 伝説や歴史の登場人物を主題にして短歌を詠む試みは、戦後の歌人が挑戦している。例えば、塚本邦雄(「水銀傳説」)、山中智恵子(『虚空日月』)、馬場あき子(「頼朝の秋百首」)など。最近では、水原茜さん(短歌人所属)の歌集『ペルセフォネの帰還』もそうである。以前にこのブログで触れたこの歌集には、日本の歴史に現れる人物も多数詠まれている。ギリシャ神話では、馴染みがないのでリアリティが感じられなかったが、日本人の場合ならどうであろうか。心惹かれた例を三首みてみよう。


  子規の耳ひそかに恋ひて弾むときふいになりたし男といふもの
  はしきやしわぎへのかたよと遁れきて能煩野にうたふか
  まほろばの歌
  千体の千手観音一堂にあつめたたしむ清盛の闇


いざ鑑賞しようとすると案外難しい。
一首目では、「子規の耳」がポイントになる。明治32年7月12日の夜、病床の子規が聴き取った音のスケッチ「夏の夜の音」を踏まえていて、そこから子規の耳の機能を恋しく思い、心弾むということか? その結果、男になりたいとふいに思った。
二首目は、三重県亀山市にある前方後円墳の能褒野王塚古墳(のぼのおうつかこふん)の謂れを詠んでいる。この古墳は、宮内庁により日本武尊(やまとたけるのみこと)の陵墓と定められている。「まほろばの歌」とは、古事記にある倭建命の「倭は国のまほろば。畳なづく青垣。山隠れる倭し美し。」のこと。妃たちが追いかけて歌ったのは、「浅小竹原 腰なづむ。空は行かず 足よ行くな。」(この点修正しておく。)
三首目は、平清盛が建てた、1001体の千手観音像をおく千体観音堂三十三間堂)のことだと分る。「千体の千手観音」と「清盛の闇」との対比が作者の眼目。
機会あれば、作者に訊いてみたい。