天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鑑賞の文学 ―俳句篇(17)―

講談社文芸文庫

     あひびきやわれら子規忌を修しゐる
               加藤かけい『生涯』


塚本邦雄『百句燦燦』の鑑賞から。
「・・・世間を憚りながら華やぐ密会の二人と、閉鎖的な、人目には暇な風流人の儀式に参じた少数者の座とへ作者の乾いた目はこもごもに向けられてゐるのだ。・・・子規忌とは言っても既にはるかな昔、「ホトトギス」とは縁の切れた中年初老の、それも男女七分三分の地味で鬱陶しい顔触れである。・・・欠伸を噛み殺しながらふと鐘楼の下の椿の繁みに目をやると、紅いものがちらと動いた。はてと目を凝らすと女の半身らしいものが見える。・・・なほ目を眇めて見てゐるとその陰に若い男の横顔が見える。・・・頭を女に近づけて囁く様子も腥く、やがて絡み合ふやうにして鐘楼の裏の立ち腐れの役僧部屋の方に消えた。・・・」


塚本は、子規忌の場を名も聞えぬ寺の書院に設定している。なんだか、水上勉の小説に出て来るような場面を思わせる。
 ところで、子規忌の句会が根岸の子規庵で開かれていると考えると、あいびきの場面は、近くのラブホテルになるだろう。JRの鶯谷駅から子規庵に至る途中には、豪華なラブホが軒を連ねていて、朝夕関係なく、男女が悪びれる風情もなく出入りしているのを見かける。子規庵の座についていて、その男女の姿を思い起こしているのだ。
 実際はどうであろう。俳人・加藤かけい(明治33年〜昭和58年)は、名古屋の人で、「ホトトギス」「馬酔木」「天狼」と移って活躍した。活動の場は、名古屋や関西が主になったはず。それなら、想像の幅が広がる。