天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

トマト

わが食卓

 ナス科の野菜。南米原産、メキシコで栽培用トマトに分化したという。ヨーロッパへは16世紀に観賞用として導入され、18世紀以後に食用にされたらしい。わが国には18世紀初めに渡来し、昭和になって食用として普及した。ビタミンA,B,Cが豊富。


  赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき
  歩みなりけり       斎藤茂吉『赤光』


  さ庭べにトマトを植ゑて幽かなる花咲きたるを
  よろこぶ吾は     斎藤茂吉『つゆじも』


  驚きて猫の熟視(みつ)むる赤トマトわが投げつけし
  その赤トマト          北原白秋


  村の子は、
  大きとまとを かじり居り。
  手に持ちあまる 青きその実を  釈 迢空


  街ゆきてさわぎし心しづまらんトマトの上に
  風立ちそめぬ         佐藤佐太郎


  二本にて十五のトマトみのりたり裸で縁に見て
  ゐる我は            柴生田稔


 斎藤茂吉はいつトマトを初めて食べたのだろうか。赤茄子と詠んだ一首目の『赤光』は大正二年刊なので、横目に見ただけであろう。二首目の『つゆじも』は昭和二十一年刊なので、食用にしたのだろうか。実は、『つゆじも』の歌は、大正6年から11年の間に詠まれたもので、歌集の発行が、ずっと遅れたという背景がある。つまりこの二首の段階では、茂吉はトマトを食べていなかったはず。ただ、茂吉は大正十年から十三年までウィン及びミュンヘンに留学していたので、その時期にトマトを食べていただろう。留学中の歌は、歌集『遠遊』にまとめられているので、トマトの歌がないか調べてみた。次の一首があった。イタリアのナポリ方面に遊んだ時のもの。

  寺々もいそぎまはりて郊外はトマト畑にほそ雨ぞ降る
                  斎藤茂吉『遠遊』