天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

弓張の滝

下曽我の山中にて

 久しぶりに訪れた下曽我の梅林は、いまだ莟であった。満開を待ち切れず大勢の人々が梅見にきていた。咲き誇る梅の花の間から見る雪の富士を写真に撮るのが例年の習わしになっているのだが、今年はあきらめた。
 下曽我は古来多くの旅人が通った里山であった。文人たちが詠んだ歌や句が残っている。


  答えする人こそなけれ足曳きの山彦山は嵐吹くなり
                  聖護院道興准后
  此頃はみさびわたれる剣沢こほりしよりぞ名は光ある
                  聖護院道興准后
     ほとゝきすなきなき飛ぶそいそかはし   芭蕉
     雨ほろほろ曾我中村の田植かな      蕪村
     人の知る曾我中村やあを嵐        白雄
     宗我神社曽我村役場梅の中        虚子


 中河原梅林、瑞雲寺、配水池、天津神社、宗我神社、弓張の滝、城前寺 と廻った。弓張の滝は、谷津と別所の境を流れる剣沢川の上流にある。谷筋に二段の滝がかかっていて、上段を鎧の滝、下段を弓張の滝という。『新編相模国風土記稿』によれば、当時、鎧の滝は高さ八尺(約2.5メートル)、弓張の滝は一丈五尺(約4.5メートル)であった。現在は水量が少なく、瀧というには寂しすぎる。


     青空の富士に見とるる探梅行
     下曽我のうす雪を踏む梅まつり
     剪定の枝持ち帰る探梅行
     紅梅の影濃く映す虚子の句碑


  紅梅の丘にのぼれば朝の日に幹の影成しうす雪
  のこる


  狛犬の足元に置く大瓶にあまた挿したる白梅の枝
  剪定の後にすんすん伸びきたる梅の梢のつぼみ紅
  弓張の滝を訪ねてのぼり来し羊歯の葉におく
  うす雪の道


  竹林の竹こすれあふ音聞きてうす雪を踏む弓張の滝
  そのかみは藤も愛でしと伝へたり細き流れの弓張の滝
  杉あまた切り出だしたる谷間にほそく掛れる弓張の滝
  大杉の切り口につむ薄雪のかをり悲しき如月の朝
  仇討の由縁記せる碑に影をおとせる白梅の花
  いにしへの鎌倉の世の仇討を今に称ふる下曽我の里
  富士のみが良かつたと言ひバスに乗る梅見に早き
  下曽我の里