短歌vs俳句
俳人の長谷川櫂は、東日本大震災の後の十二日間に、彼の思いを短歌にまとめ『震災歌集』として発表した。その後で俳句を詠んだ。短歌と俳句の違いを次のように述べている。要約する。
「短歌は人の心の動きを言葉にして表現することができる。ことに嘆きや怒りといった激しい情動を言葉で表わすのに向いている。短歌は俳句より七七の分だけ言葉が多いために、ものごとをきちんと描写することができる。
一方、俳句は言葉の代わりに「間」に語らせようとする。「間」とは無言、沈黙のことだが、それはときとして言葉以上に雄弁である。ただ「間」がいきいきと働くには、空間的、時間的な余裕がなければならないだろう。また俳句には季語がある。これは俳句を宇宙のめぐりのなかに位置づける働きがある。俳句で大震災をよむということは、大震災を悠然たる時間の流れのなかで眺めることにほかならない。それはときに非情なものとなるだろう。」
『震災句集』(2012年1月25日刊)は『震災歌集』(2011年4月25日刊)の9ヶ月後に発行された(いずれも中央公論新社より)。大津波と原発事故について、短歌作品と俳句作品をいくつか比べて、長谷川櫂の言う表現方法の違いを確かめておく。
乳飲み子を抱きしめしまま溺れたる若き母をみつ昼のうつつに
幾万の雛わだつみを漂へる
花屋も葬儀屋も寺も流されてしまひぬと生き残りたる一人の男
春泥やここに町ありき家ありき
音もなく原子炉建屋爆発すインターネット動画の中に
焼け焦げの原発ならぶ彼岸かな
見しことはゆめなけれどもあかあかと核燃料棒の爛れをるみゆ
原子炉の赤く爛れて行く春ぞ