天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

湘南の西行歌碑(1)

鴫立庵にて

 神奈川県湘南で西行ゆかりの地といえば、第一に大磯の鴫立庵である。この付近で西行新古今集三夕の内の一首

  心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮

を詠んだ、との言伝えが古く足利時代からあったらしい。ここに最初に庵を結んだのは小田原の人・崇雪であった。その後三十年ほど経って、元禄八年頃、俳諧師の大淀三千風が庵を再興して、鴫立庵第一世の庵主になった。現在は二十二世の庵主として、女流俳人の鍵和田ゆう子がついている。この二十二世まで、庵主はみんな俳人である。歌人西行ゆかりの地なのに、何故歌人が庵主になっていないのだろうか? 思うに室町期以降江戸末期まで、和歌は世間的には停滞していたが、一方俳諧は隆盛して庶民の間にも広まっていたという背景があろう。また邪推すれば、歌人将軍・源実朝がいた鎌倉に近いところに、西行を記念する和歌の道場を作ることには遠慮があったかもしれない。
 鴫立庵の庭には、句碑、墓碑が多い。佐佐木信綱の筆になる「心なき身にも」の歌の碑も据えられている。


     老犬の朝の散歩や海開き
     笠懸けの松に夏日の赫つと射し
     新涼の木陰におはす五智如来


  墓碑句碑のあまた立ちたる大磯の鴫立沢に涼みけるかも
  伝説を纏ひて立てる幹ほそき西行上人笠懸けの松
  年を経て自問自答に苦しめど今は虚しき過去の栄光


この鴫立庵は、京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並んで日本三大俳諧道場であり、投句箱がおいてある。投句は、時の庵主が選句して、年一回発行されるパンフレット「鴫立庵」に掲載される。
わが入選の例を二句あげておく。


     くるたびに藪蚊に刺され鴫立庵
             草間時彦選 (平成 9年)
     大磯の真砂荒砂青葉潮
            鍵和田ゆう子選(平成16年)


 二十一世庵主の故・草間時彦氏が、わが入選句を引き合いに出して、パンフレットに鴫立庵の様子を書いていたことが懐かしい。庭にある彼の句碑は次のものである。


     大磯に一庵のあり西行忌       草間時彦