天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鑑賞の文学 ―短歌篇(30)―

芭蕉句碑

  きりぎりす兜の下に不在なる、否、不要なる戦場歌人
                   藤原龍一郎


 これは、「短歌人」九月の東京歌会に出された詠草。芭蕉が『奥の細道』の小松において詠んだ俳句「むざんやな甲の下のきりぎりす」の本歌取りである。
 この歌を鑑賞しようとすると芭蕉の句が更に深みを帯びてくる。ここでの兜は戦場に転がっている。芭蕉句では、その下にきりぎりすが鳴いていたのだが、歌の方ではきりぎりすはいない。その兜は、昭和期の戦争における兵士の兜と思われる。その主は誰であったか。実は、兵士たちの中には「あららぎ」所属の人たちもかなり多くいて、戦場から歌を送ってきた。特集号が出るほどであった。兵士として戦った歌人の代表は、渡辺直己(『渡辺直己歌集』)と宮 柊二(『山西省』)であろう。彼ら兵士と違って、戦場の様子を歌人として視察し歌を詠むことを軍から依頼された歌人がいた。小泉苳三(『山西前線』)であり土屋文明(『韮青集』)である。軍が守ってくれたので、命を落すことはなかった。つまり戦場に転がっている兜の主ではなかった。歌では、そのような戦場歌人は不要と言っている。
 以下私見であるが、現在から見て彼らの戦場の短歌作品は、大変貴重なものに思える。そればかりか国内にあって皇軍を鼓舞し相手国を侮蔑するような歌を詠んだ斎藤茂吉の『萬軍』さえも反面教師として役立つ。戦時の国民や歌人の心の動きが記録され、時代を映している。自分をその時代においた時、どれほど人道的な行動がとれたか、と顧みる材料になる。あるいは、領土問題に対する諸国民の感情的反応を考える場合の参考になると思う。

[注]右上の画像は、多田神社のHP
   http://www.tadajinja.com/basyou01.html
   から借用した。