天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

時雨亭の跡

厭離庵にて

 現在、堀田善衛の『定家明月記私抄』を再読している。藤原定家と彼が生きた時代をもう一度思い出したい、と思ったからである。まことに面白い。それで藤原定家に関係ある京都の場所を尋ねてみることにした。時雨亭の跡、定家の墓、冷泉家などである。
 時雨亭は、小倉百人一首を選んだ場所とされるが、嵯峨野にその候補地は三か所ある。常寂光寺、厭離庵二尊院 である。今回は、時間の都合もあり、厭離庵二尊院を訪ねた。
厭離庵は荒廃していたが、江戸中期に令泉家が修復。その際に霊元法皇から厭離庵の号を得たという。その後再び衰え、近年復興された。書院のほか、茶席時雨亭、定家塚などがある。
二尊院参道の紅葉は、名所と言われるだけあって見事であった。なお、山門を入ってすぐ左手に西行庵の跡があり、次の歌が立札に書かれている。これは『山家集』に載っている。


  我がものと秋の梢を思ふかな小倉の里に家居せしよ里


時雨亭跡は、谷を見下すような小倉山のかなり高いところにある。
二尊院の近くには、野宮(ののみや)神社や向井去来の落柿舎があり、特に紅葉の季節には観光客が絶えない。二尊院や落柿舎には、以前にも来たことがあるが、厭離庵野宮神社に寄ったのは、今回が初めてであった。
 定家が生涯に住んだ場所は、五條京極邸、二条京極邸、一條京極邸 など数か所あるが、その跡は現在は見る影もない。それで子孫の冷泉家の場所のみ確認した。


     しぐるるや嵯峨野の道を傘さして
     南天定家塚なる五輪塔
     紅葉の西行庵跡一首あり
     時雨亭跡訪ふ山の紅葉かな
     鐘撞くやもみぢの奥の時雨亭
     竹の子が頭出す様去来墳
     落柿舎の庭にひびかふ鹿威し
     秋風や墓地を囲める句碑に歌碑
     嵯峨野路の竹林幽し竹の春


  時雨亭跡とも伝ふ厭離庵定家塚とふ五輪塔あり
  二尊院山門入れば左手に苔むせる碑の西行庵跡
  紅葉なす参道の奥にのぼり来て谷を見下ろす時雨亭跡
  六条御息所を哀れみて源氏が訪ひし野宮の杜
  縁結びを願ふ女が多く来る黒き鳥居の野宮神社
  たけのこが庭に出でたる趣の墓石なりき向井去来
  新しき墓石多き墓地をめぐりつひに見つけし藤原定家
  相国寺墓地入口の左手に定家、義政、若冲ならぶ
  今出川御門の向かひ左手に白壁長き冷泉の家
  霜月の公開の日を過ぎたれば堅く閉ざせる冷泉の門
  冷泉の表札もなく門を閉し白き土塀の内にしづもる


 なお、11月6日にABS朝日で放映された「京都1200年の旅」において、時雨亭跡の三候補地が紹介されていた。見事な紅葉の季節に撮影された美しい景色であった。