天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

紅葉狩(11)

京都嵯峨野二尊院にて

 美しい紅葉を見に、紅葉の名所に出かけること。秋の季語。傍題には、紅葉見、観楓、紅葉酒、紅葉舟、紅葉茶屋 など。現代でも紅葉の名所によっては経験できる事象である。ただ、現代短歌では、紅葉狩として詠むことは稀になったようだ。単に紅葉を詠むことは多いのだが。このブログでは、毎年とりあげているので、今回は11回目になる。


     紅葉見や用意かしこき傘二本      蕪村
     水音と即かず離れず紅葉狩     後藤比奈夫
     紅葉酒九鬼水軍の裔と酌む      岸本砂郷


  うちむれていざわぎもこが鏡山こえて紅葉の散らむかげみむ
                    後撰集・紀 貫之
  もみぢ葉を尋ねて入れば山本のはやしにひびく鳥のひと声
                       小沢蘆庵
  山寺の垣内(かきつ)の紅葉今さかりなりおもはずも来て
  うれしかりけり             尾山篤二郎


  さくら狩薬草(くすり)狩けふ紅葉狩 眉目よき首のあらば
  狩らむよ               山埜井喜美枝


 なお、以前(2011年12月24日)に紹介したことだが、「もみじ」に「紅葉」をあてるようになったのは、平安時代からで、万葉集ではもっぱら「黄葉」をあてた。