天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

富士の歌(1)

大磯からの眺望

 わが国の象徴でもある富士山は、いにしえから歌に詠まれている。万葉集山部赤人や高橋虫麿の歌がその例である。ところで、富士山は現在でも活火山であり、将来噴火すると予測されている。噴火は平安時代に多く、800年から1083年までの間に10回程度の活動があったことが、古文書や地質調査から知られる。例えば『日本後紀』には、「昼は噴煙によって暗くなり、夜は火光が天を照らし、雷のような鳴動とともに、火山灰が雨のごとく降り、山麓を流れる川の水が紅色に変わった」と記されている。富士が煙を吐いている情景が和歌に詠まれている。それを古今和歌集新古今和歌集から拾いだしてみよう。
古今和歌集には長歌二首を含め五首が詠まれている。火山としての富士山を恋に掛けている。但し、富士の噴煙を直接思わせる短歌は次の一首のみ。


  富士の嶺のならぬ思ひに燃えば燃え神だに消(け)たぬ
  むなしけぶりを             紀乳母


新古今和歌集より。
  験なき煙を雲にまがへつつ世をへて富士の山と燃えなむ
                      紀貫之
  あまのはら富士の煙のはるのいろの霞になびくあけぼのの空
                      慈円
  世の中を心高くもいとふかな富士のけぶりを身の思ひにて
                      慈円
  風になびくふじの煙の空に消えて行くへもしらぬ我が思ひかな
                      西行
  ふじのねの煙もなほぞ立ちのぼる上なきものはおもひなりけり
                      藤原家隆
  みちすがら富士の煙もわかざりき晴るる間もなき空のけしきに
                      源頼朝