薬師寺
普通は奈良にある法相宗の大本山を指す。他に栃木県河内郡南河内町にもあったが、現在は寺院跡のみ。奈良の薬師寺は天武天皇が后の病快癒を発願して建立に着手したが、天武の死後、後を継いだ后の持統天皇が藤原京に造営を進めた。その後の平城京遷都に伴い、同じ配置の薬師寺が西の京に建てられた。これが現在のものである。明治以降昭和四十年頃までは、東塔だけが往時の姿をとどめる荒れ果てた境内であった。昭和三十五年以降から管長の高田好胤が中心となって写経勧進による白鳳伽藍復興事業が進められた。先ずは金堂、次いで西塔、中門、回廊の一部、大講堂などが再建された。現在は東塔の解体修理が平成三十年までの予定で進められている。
薬師寺の千年ののちの此のうつつ少女がひとり臼踏み働く
鹿児島寿蔵
心経の一巻写し筆を置き息深く吸ふ薬師寺のには
寺田さみ子
ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲
佐佐木信綱
うら若き妻が吾子抱きもとほりて薬師寺の塔に仰ぎし水煙
五島 茂
軒の三重裳階(みへもこし)の三重の六重(むへ)の段(きだ)
見つつし飽かね薬師寺の塔 吉野秀雄
薬師寺には何度か行ったが、秋になるとまた行きたくなる。奈良の地貌と歴史がそういう気分を起こさせる。