日本における稲作は、縄文時代中期から行われ始め、縄文時代晩期から弥生時代早期にかけて、大々的に水稲栽培が行われるようになった。古くは「よね」と言った。また「米」の文字の形から「八木」とも言った。稲の籾殻を取り去ったものが「玄米」であり、精白したものが「白米」である。
岩の上に小猿米焼く米だにも食(た)げて通らせ山羊
(かましし)の老翁(をぢ) 日本書記・曽我入鹿
たのしみはあき米櫃(こめびつ)に米いでき今一月はよしと
いふとき 橘 曙覧
あやめ草おくれて咲ける古井戸にすこしばかりの米磨ぎにけり
久保田不二子
これが米をつくる百姓の
食いものかと
楢の木の実を
ころがしてみる 渡辺順三