彼岸花
山野に彼岸花が目立ちはじめた。彼岸花(曼珠沙華、死人花などとも)を詠んだ短歌については、過去にこのブログでとり上げているので、ここでは俳句作品をご紹介する。調べていて気付くのは、俳人は彼岸花より、圧倒的に曼珠沙華の方を好むようだ。
飯田龍太は山梨県の山里に住んでいたのに、生涯にわずか四句しか詠んでいない。『季題別・飯田龍太全句集』から、の四句すべてを次にあげる。
露の村いきてかがやく曼珠沙華 飯田龍太
曼珠沙華智慧の泉の澄むところ
もろもろのこゑの真近き曼珠沙華
彼岸花谷越えて栂枯れしまま
山口誓子は曼珠沙華を最も多く詠んだ俳人であろう。『季題別・山口誓子全句集』には、70句ある。初期と晩期からそれぞれ二句ずつあげる。
曼珠沙華一茎の蕊照る翳る 山口誓子
曼珠沙華季節は深く照りとほる
曼珠沙華にも背高の名を付ける
狭軌道両側に咲く曼珠沙華
富安風生の『季題別・富安風生全句集』には、18句ある。初期と晩期からそれぞれ二句ずつあげる。
下総の丘のなだらの曼珠沙華 富安風生
曼珠沙華恙なく紅褪せつつあり
海鼠壁明治百年曼珠沙華
道ばたに大森彦七曼珠沙華
何故、俳句で彼岸花は曼珠沙華に比べて詠まれにくいか、と考えるに、「彼岸花」とすると現実的な名称であるからであろう。秋の彼岸の頃に咲く花、という文字通りの名であるためである。また野道、田圃の畦、墓地などに咲くので、俳句の内容とつきすぎになる場合が多い。対して、曼珠沙華は異国情緒があり、ロマンを感じさせる。
以上のことから芭蕉の評言に従えば(『去来抄』)、「彼岸花」は「卑し」ということになる。ただ、歳時記にはこうした考察はない。季語「曼珠沙華」の傍題のひとつに「彼岸花」があるだけ。