天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

歌集『アルゴン』(1/2)

六花書林刊

 斎藤寛さん(「短歌人」所属)の第一歌集である。六花書林刊。手にとって帯文を見て仰天した。右の画像に見るように、小池光さんが凄まじい文章を書いている。読者は歌集を開く勇気を失くしてしまうのではないか。と思ったが、これは小池さん一世一代の二度とは書けないオマージュなのだと、気付いた。この帯文によって、歌集は話題になり注目を集めるからである。歌集の構成は、一部と二部に分れる。斎藤さんのあとがきによると、二部は「短歌人」に入会するまでの作品からなり、一部は「短歌人」に入会してからの作品である。よって二部から読み始め、一部に移って読み終えた。この順序が正解だったと、読み終えてから分った。
 ところでこの歌集では、読んでよく分るとか気分が休まるとかの歌は期待できない。古典和歌や近代短歌のように朗誦性に富み、口ずさむと心地よくなる、といった性格の作品ではない。しかし、二部から一部へと読み進むうちに、読み易くなり、最後の「半島」を読み終えたら、作者の到達した高みが理解できて感動するはずである。
 先ず二部から。作者の短歌研鑽・努力・試行の跡と思われる。現代短歌のニューウェーブなどの手法が反映されている。特に記号を用いた修辞は、書き写すことはもちろんどのように読むかも悩ましくなる。五七五七七の短歌韻律だけが頼りである。

  清濁濁濁濁濁清清濁濁濁濁濁濁併せ呑むなり
  否定否定自己否定否定他己否定異化否定否定否定全否定
  ずずざずむ(ねば、ので、だから)ずずざずむ(にもかかはらず)
  ずずざずむずむ


もちろん、こうした例は多くはない。が、誇張表現、べらんめえ表現、オノマトペ、リフレインなどが随所に見られる。また理屈を詠うことも。比較的分りやすい例歌をあげる。

  十七時半の「家路」の流るれば餓鬼どもいよよ遊び抜くべし
  飼主と飼犬なれど指揮命令系統ぐじやぐじやしてゐる愉快
  森さんと呼ばれてハイと返事すりや束の間俺は森さんである
  けだもののまなこなつかしにんげんはそらめながしめよそめよそほふ
  ベランダに夜通し干せば億年の星の光の宿るTシャツ
  夢でしか会へぬひとまたひとり増ゆ全天冥き流星の夜に


[注]右上の画像の解像度・大きさでは、小池光さんの文章が読めないかも。
  ただ、それを書き写す勇気もでないので、読者の皆さんは、本屋さんなどで
  手にとって見て頂きたい。