天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

歌集『アルゴン』(2/2)

六花書林刊

 一部に移ろう。「短歌人」に入会して以降最近までの七年間の作品という。機知の歌、社会詠、身辺詠、感慨詠など題材は多彩。ところで以下には、歌集全体から「沼津の姉」なる人を詠んだ作品だけを抜き出してみよう。
  沼津より途切れず寄する電信の文字には文字の負ふ
  肉のあり


  うるはしきを沼津の姉は好まねば「みんな違つてみんな
  駄目!」とぞ


  猥褻に寝合つたのよとのたまへる沼津の姉は異人に近し
  そんな時オレなら斯うしてやるぜとて沼津の姉はグラス
  投げたり


  「刃を研がぬ奴に限つて歌なんか詠むのね?」沼津の姉は
  雪崩れ来


  「殴る時肌と肌とが触れ合ふわそれもエロスよ」姉断言す
  「血も涙もありすぎつてのも困るのよ」沼津の姉の梅雨の
  ぶつくさ


なんか羨ましくなるようなお姉さんである。歌集に特定の人や動物、店などがちりばめられていると読者を楽しませる。例えば、塚本邦雄の山川呉服店、小池光の猫。
 歌集作品の最高峰は、一部の最後に置かれた「半島」三十首(第59回短歌人賞受賞作)である。三浦半島のそこかしこの事象に取材したようである。五首のみあげる。くどくどと解説するのはヤボというもの。
  くぐもれる音塊は来ぬこの国の内なる異国の空深きより
  いつの日か海へ還れよまつさらな海へ還れよこの軍港は
  砲台山とかつて呼ばれし丘のうへ修二の歌碑は海を見てをり
  海原の果つるあたりかみんなみへヨットはあをき直線を引く
  あの煙はわれらの希望と教はりき東電横須賀火力発電所


歌集全体を二部から一部へと読んで、斎藤寛さんの短歌の足跡がよく理解できた気がする。


[お詫び]ローマ数字がうまく変換できず、?がついてしまうので、漢数字に修正
     しました。