天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

歌集『思川の岸辺』(8)

思川(webから借用)

 従来の歌集にも共通するが、助詞・助動詞の使い方に古典和歌(特に万葉集)の継承と工夫(「を」「も」「は」「つ」「つつ」「に」「さへ」等々)が見える。例えば「を」の省略など新鮮。


  それぞれに結婚をしてふたりの子めぐりを去りし
  空しきものを


  正座して鏡のまへに居りしきみ声をかければふりむく
  ものを


  絨毯にごみとりローラーかけながらつぶやくこゑを聞く
  もかなしも


  松の木に鶴は巣籠もることはなし誤りなれど絵に描く
  よしも


  歯科待合室に忘れてきたる帽子にて夜ねるときに思ひ
  いだすも


  ロマンスカーの車内販売に職を得しひとりの生徒を
  思ひ出でつも


  妻逝きてひととせの間に進みたる老眼のこともさびしき
  ろかも


  秋づく日きみが遺愛の洗濯機こはれたることも運命ならめ
  運命としてしづかにも利根川の本流に入る渡良瀬川
  ひとつのみ花咲いて枯れてしまひたることしの秋明菊
  かなしむ


  日曜の夜くることをまちかねて「半沢直樹」はわれさへも
  観(み)る


  短歌人編集人たりし二十五年ただ黙々ときみあればこそ
  野つかさに五つの墓は日当たりをりきのふもけふも傾きながら
  仙台の荒浜みれば胸ゑぐらるる少年われは泳ぎしところ
  たくさんの鉢をならべて花植ゑし人は世になし鉢ぞ残れる
  まがふなく亀のあたまが流れゆく水のおもてに見えつかくれつ
  あるときは一人暮らしの安けさをときめくまでに思ひをりしに
  ぱらぱらと落ちて来たりし夏雨はハクモクレンの葉を打ちしのみ
  力尽きて炎暑のみちに倒れたるキアゲハさへも見て過ぐるのみ
  わづかにも咲きたる庭の菊にさへしぐれの雨は降りかかるなり
  何年かぶりに競馬場にわれは来てわづかな金を賭けつつゐたり
  蝶の影地上にうつりゆく見つつ午前中より歌にくるしむ
  踏切に貨物列車の過ぎる待つ二十三輌をわれは数ふる
  高崎の町をながれてからす川ゆふぐれどきは寂しとおもふ
  ゆきずりの町を行きつつ社(やしろ)あり賽銭箱に風入りゆく
  台風のあめかぜ去りてふたたびを鳴きはじめたるつくつく法師