歌集『思川の岸辺』(9)
従来の歌集では、小池さんの短歌の特徴は、副詞(句)の用法に顕著であるが、本歌集においても変わらず健在である。
トリニダード「三位一体」而(しかう)してトバゴは
「たばこ」 夕陽が赤い
よろこびに満ちてふたりはただ居ればわが感情はしづか
となりぬ
バケツに首突つこんで水飲んでゐるうしろすがたもしみじみ
女猫
「東北線土呂(とろ)のとなりは土々呂(ととろ)にて電車は
つひに停まらぬところ」
金次郎(きんじろ)が読んでゐる本なんの本あるいは
『好色一代女』
よろこびに満ちてふたりはただ居ればわが感情はしづか
となりぬ
水飲みに行つたつきりの家猫を案ずるあひだも日は釣瓶落ち
猿のお面(めん)やをら外せば本物の猿あらはれぬああお正月
わが過ぎてゆきたるときに紅梅の中よりまさにうぐひすのこゑ
送り火におくられ帰るたましひといふものがたりなどてかなしむ
荒廃をしてゆく生のありさまをつぶさにつたへわが庭あるか
梨園の中よりふともあらはれて瑞鳥雉子(きじ)が道をよこぎる
半ズボンはいてつくづく見下ろせば脛毛の足もふるびたるかな
カーテンは野分の風をはらみたりその中にふとだれか隠れて
隠元の筋むくときもありありときみなきことは思はれて来ぬ
ぼろぼろにひび割れし顔をさらし歌ふ森進一を存外好む
老眼鏡かばんの中に入れずきて字読めぬつらさを沁みて味はふ
炎天より帰りきたりてたちまちに生卵をばひとつわが呑む
開けては閉め閉めては開けて冷蔵庫いつともなしに年とりてをり
いちにちをきよらにあれと願へれどすでにたばこを吸ひてしまへり