天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

歌の原郷(2)

啄木歌碑(webから)

 さらに例を三つあげておこう。


    うぬ惚(ぼ)るる友に
    合(あひ)鎚(づち)うちてゐぬ
    施与(ほどこし)をするごとき心に
  短歌韻律: うぬ惚るる|友に合鎚|うちてゐぬ|
        施与をする|ごとき心に|
  啄木流:  うぬ惚るる友に■合鎚うちてゐぬ■
        施与をするごとき心に


    いつも、子を
     うるさきものに思ひゐし間に、
    その子、五歳になれり。
  短歌韻律: いつも子を|うるさきものに|思ひゐし|間にその子|
        五歳になれり|
  啄木流:  いつも■子を■■うるさきものに思ひゐし間に■■
        その子■五歳になれり■


    春の雪みだれて降るを
     熱のある目に
     かなしくも眺め入りたる。
  短歌韻律: 春の雪|みだれて降るを|熱のある|目にかなしくも|
        眺め入りたる
  啄木流:  春の雪みだれて降るを■■熱のある目に■■かなしくも
        眺め入りたる■


以上の分析から、朗読を聞いただけでは、啄木流は散文になるということ。文語ならまだしも口語になるとますますこの傾向が強まる。多彩な三行分ち書きの視覚効果により、初めて詩を感じるようになる。また、短歌の韻律を見えざる背景にしている(短歌の韻律でも朗読できる)。
 啄木は、三行分ち書きだけにしたが、現代短歌では、岡井隆のように、文字通り様々の多行書きを駆使する例が現れる。だが視覚効果を鑑賞文に表現することは、まことに難しい。