天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

歌の原郷(3)

新書館刊行

 石川啄木の後に、新短歌論を提唱・実践した歌人に、理論物理学者の石原純がいる。例えば、次のような三首の歌。三行書き、四行書きがある。短歌の韻律から完全に外れている。


暴風雨のあとの
   火のやうに焼けたゆふ空。
   世界はなぜ燃えあがらないのだ。


ほんとうににがい
 虐げられたおまへの過去だ。
 だが、もうすくすくと伸びても
 いいんじゃないか。


眼を借りて、
 眼を貸して、
 お互ひはこころの寂しさを
 見ようぢゃないか。


石原純の自由律短歌は、口語体を採用していたため、そのまま口語短歌運動と結び付き発展してゆく。昭和時代になると、金子薫園、土岐善麿前田夕暮などが参加し、口語自由律短歌は最盛期を迎える。中でも前田夕暮は、口語自由律短歌の代表作を残した。しかし、昭和10年代半ばには、戦時の国策もあってか、全員、定型歌に復帰している。
 口語自由律短歌における短歌という定義は、韻律も拍数も古典短歌とは無関係になっており、異質である。紛らわしいので、強いて名付けるなら短詩で良いはず。自由民主主義が成立した戦後も口語自由律短歌は復活しなかった。
 啄木の歌が短歌と呼べるのは、短歌の韻律でも読めるからである。背後に響くからである。