天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

万葉集に詠まれた藤

横須賀菖蒲園のふじ苑にて

 万葉集に詠まれた藤の歌は、これまで二、三首ほどは紹介済みだが、この際全短歌18首を抜き出してみよう(長歌は6首あるが省く)。藤波とした歌が多い。
藤は何故か桜ほどには話題にならず、残念でならない。桜同様、世界に広がれば嬉しいのだが。



  藤浪の花は盛りに なりにけり平城(なら)の都を思ほすや君
                     大伴四綱
  恋しけば形見にせむとわが屋戸に植ゑし藤波いま咲きにけり
                     山部赤人
  わが屋前(やど)の時じき藤のめづらしく今も見てしか妹(いも)が
  咲容(ゑまひ)を            大伴家持


  藤波の咲く春の野に延(は)ふ葛(くず)の下よし恋ひば久しく
  もあらむ              作者: 不明


  藤波の散らまく惜しみ霍公鳥(ほととぎす)今城(いまき)の
  岳(をか)を鳴きて越ゆなり      作者: 不明


  春日野の藤は散りにて何をかも御狩(みかり)の人の折りて
  挿頭(かざ)さむ           作者: 不明


  かくしてそ人の死ぬといふ藤波のただ一目のみ見し人ゆゑに
                    作者: 不明
  春へ咲く藤の末葉(うらば)の心安(うらやす)にさ寝(ぬ)る
  夜ぞなき児ろをし思(も)へば     作者: 不明


  妹(いも)が家に伊久里(いくり)の森の藤の花今来む春も
  常如此(つねかくし)し見む       大原高安


  藤波の咲き行く見れば霍公鳥(ほととぎす)鳴くべき時に
  近づきにけり            田辺史福麿


  明日の日の布勢(ふせ)の浦廻(うらま)の藤波にけだし来鳴かず
  散らしてむかも            大伴家持


  藤波の花の盛りにかくしこそ浦漕ぎ廻(み)つつ年に思(しの)はめ
                     大伴家持
  霍公鳥(ほととぎす)鳴く羽触(はぶり)にも散りにけり盛り
  過ぐらし藤波の花           大伴家持


  藤波の影なす海の底清み沈(しづ)く石をも珠(たま)とそわが見る
                     大伴家持
  多祜(たこ)の浦の底さへにほふ藤波を挿頭(かざ)して行かむ
  見ぬ人のため         次官内蔵忌寸縄麿


  いささかに思ひて来しを多祜(たこ)の浦に咲ける藤見て
  一夜(ひとよ)経ぬべし     判官久米朝臣広縄


  藤波を仮廬(かりほ)に造り浦廻(うらみ)する人とは知らに
  海人(あま)とか見らむ       久米朝臣継麿


  藤波の繁りは過ぎぬあしひきの山ほととぎすなどか来鳴かぬ
                  掾久米朝臣広縄