天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

五月雨

花菖蒲(浜松フラワーパークにて)

 辞書によれば、 陰暦5月ごろに降りつづく長雨。梅雨。つゆ。さつきあめ。などとある。「さみだれ」の語源としては、「さ」は五月(さつき) などの「さ」、「みだれ」は水垂(みだれ) との説がある。
 面白いことに、万葉集には一首も詠まれていない。古今集で2首、新古今集に14首(以下では、4首のみあげる)と増えていく。この鬱陶しい雨に寄せる人の感情が、時代と共に変化したことを示すのであろうか。万葉時代は、「長雨」と言えば済んだ。平安朝以降は、「あやめ」や「ほととぎす」などと五月雨を取り合せて、この季節の感覚をしっかり根付かせることに成功した。


  五月雨に物思ひをれば郭公夜深く鳴きていづち行くらむ 
                 古今集紀友則
  五月雨の空もとどろに郭公何を憂しとか夜ただ鳴くらむ 
                 古今集紀貫之
  うちしめりあやめぞかをる郭公啼くやさつきの雨のゆふぐれ
               新古今集・藤原良経
  いかばかり田子の裳裾もそぼつらむ雲間も見えぬ頃の五月雨
                 新古今集・伊勢
  さみだれの月はつれなきみ山よりひとりも出づる郭公かな
                 新古今集・定家
  あふち咲くそともの木蔭つゆおちて五月雨晴るる風わたるなり
               新古今集・藤原忠良


 なお、季語の概念は、連歌から俳諧へと発展していく過程で、必要不可欠になり定着した、と言われている。俳句では、名句がいくつもあるが、次には、さほど知られていない例をあげておく。

     五月雨にかくれぬものや瀬田の橋   芭蕉
     さみだれや名もなき川のおそろしき  蕪村
     五月雨や肩など打(たた)く火吹竹   一茶