風の詩情(15)
風を詠んだ和歌(短歌)を調べていて気付いたことがある。「嵐」は万葉集(785年頃成立)、から以降の和歌集で共通して詠まれているが、「木枯し」は万葉集にも古今集(913-14年成立)にも詠まれていない。二十一代集では、後拾遺和歌集(1086年成立)になって初めて現れる。
いかばかりさびしかるらむ木枯しの吹きにし宿の秋の
ゆふぐれ 右大臣北方『後拾遺和歌集』
新古今集(1205年成立)では、すでに紹介したように多く詠まれている。
この傾向は「野分」についてもいえるようで、二十一代集では、千載和歌集(1188年成立)が初めのようである。
野分するのべのけしきを見渡せば 心なき人あらじとぞ思ふ
藤原季通『千載和歌集』
これら二つの言葉は、源氏物語(1008年頃成立)には出てくる。「木枯し」は、次のように物語中の歌にある。
木枯に吹きあはすめる笛の音をひきとどむべき言の葉ぞなき
源氏物語・帚木第二段「左馬頭の体験談(木枯しの女の物語)」
「野分」は源氏物語の巻名になっている。またほぼ同時期の枕草子(996年頃成立)にも「木枯らしの森」とか「野分のまたの日こそ」という形で現れる。
どうやら「木枯し」も「野分」も単独に和歌に詠まれるのは、源氏物語や枕草子で一般的に知られるようになってからのことと思われるのである。嵐よりもずっと後に発明された言葉ではないか。手元の語源辞典には、発生時代については記載されていない。どなたかご存知なら、ご教示頂きたく。