天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

雲のうた(12)

飛行機雲

 新古今集の雲の入った法師の作品を集めてみた。次の西行の最初の歌は、他の歌に比べてなんとも勇壮な詠みっぷりである。じめじめしていなくて気分が良い。主観や心情を露わに入れないほうが、好ましく感じる。西行、寂連は定家と共に三夕の歌でよく知られる。なお西行の雲の歌については、明日、あらためてとり上げる。


  横雲の風にわかるるしののめに山飛び越ゆる初雁の声
                    西行新古今集
  白雲をつばさにかけて行く雁の門田の面の友したふなる
                    西行新古今集
  月を待つ高嶺の雲は晴れにけり心あるべき初時雨かな
                    西行新古今集
  秋篠や外山の里や時雨るらん生駒の岳に雲のかかれる
                    西行新古今集
  雲かかる遠山ばたの秋されば思ひやるだに悲しきものを
                    西行新古今集
  これやさは雲のはたてにおると聞くたつ事しらぬあまの羽衣
                    寂昭『新古今集
  かささぎの雲のかけはし秋暮れて夜はには霜やさえ渡るらん
                    寂蓮『新古今集
  紫の雲路にさそふ琴の音にうき世をはらふ嶺の松風
                    寂蓮『新古今集
  百敷のうちのみ常に恋しくて雲の八重だつ山は住みうし
                    如覚『新古今集


 寂昭: 三河守であったが出家し、叡山三千坊の一つ如意輪寺に住んだ。
    その後、宋に渡海し、蘇州の僧録司に任じられた。日本に帰国する
    事がないまま杭州で没した。
 寂蓮: 俗名は藤原定長。30歳代で出家、歌道に精進した。後鳥羽院
    御口伝において、寂蓮の様々な才能を絶賛している。
 如覚: 俗名は藤原高光従五位上に叙せられたが、妻子を捨てて出家、
    比叡山横川で受戒入道した。多武峯に移り、草庵極楽房に住む。


[注]右上の画像は、web「雲の種類と名前」 http://asukainfo.com/kumo
   から借用した。