天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

雲のうた(13)―西行―

小夜の中山にて

 周知のように西行(俗名:佐藤義清)は、兵法・武芸に優れた北面の武士として鳥羽上皇に仕えていたが、二十三歳の時、突然出家遁世した。理由は不明。高野山吉野山に隠れたり、諸国を遍歴した。その足跡は、陸奥、中国、四国、九州、伊勢、京、河内などに及んだ。こうした生涯において多くの優れた和歌を詠んだ。なかでも花(桜)や秋の夕暮れの歌は有名である。
 ここでは、庵の生活や旅にあった西行の眼に映った雲の歌に注目してみたい。西行の和歌の集成である『山家集』を調べてみると、雲の歌が多いのは、分類項目に従えば、秋歌、春歌、聞書集、
羇旅歌 などの順になる。なかでも秋には春の倍近く雲の歌がある。
以下では、各季節の雲の例歌を二首ずつあげる。

 
 春の雲の歌。この時代の和歌の常道として、花を雲に見立てる、あるいは逆に雲を花に見たてる詠み方が目立つ。西行では、すべてこの詠み方になっていると言ってよい。
  雲にまがふ花の下にてながむれば朧に月は見ゆるなりけり
  吉野山谷へたなびく白雲は嶺の桜の散るにやあるらむ


 秋の雲では、雁や月との組合せが印象的。
  よこ雲の風にわかるる東明に山とびこゆる初雁のこゑ
  清見潟月すむ夜半のうき雲は富士の高嶺の烟なりけり


 夏の雲の歌は、次の二首のみだが、いずれも「ほととぎす」(時鳥、郭公)との取合せである。
  五月雨の晴間もみえぬ雲路より山時鳥なきて過ぐなり
  さみだれの晴間尋ねて郭公雲井につたふ聲聞ゆなり


 冬の雲の歌は全部で四首。時雨や吹雪と組み合わせている。次の二首目は俳諧歌というべきか。
  秋しのや外山の里や時雨るらむ生駒のたけに雲のかかれる
  限あらむ雲こそあらめ炭がまの烟に月のすすけぬるかな


 以上のような西行の取合せの詠み方は、以降の時代の和歌の範例となり、近世まで引き継がれた。


[追伸]西行の足跡のうち、九州、中国についてはどうも伝説だけであり、
 確証はないようだ。歌碑はあるもののそれは、西行に心酔した後世の人たち
 が建てた可能性が大きい。