天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

わが歌枕―吉野山(1/3)

奥吉野にて

 大和国の歌枕。現在の奈良県吉野郡の山々の総称。吉野は万葉時代から歴代天皇行幸の地として、多く歌に詠まれた。「川の吉野」から「花の吉野山」へと焦点が移った。


  山のまゆ出雲の子らは霧なれや吉野の山の嶺にたなびく
                   柿本人麿『万葉集
  み吉野の山のあなたに宿もがな世のうき時の隠家(かくれが)
  にせむ              読人不知『古今集


  ふるさとは吉野の山し近ければ一日もみ雪降らぬ日はなし
                   読人不知『古今集
  神無月時雨るる時ぞみ吉野の山のみ雪も降りはじめける
                   読人不知『後撰集
  いづことも春の光はわかなくにまだみ吉野の山は雪降る
                  凡河内躬恒後撰集
  み吉野の吉野の山の桜花白雲とのみ見えまがひつつ
                   読人不知『後撰集
  春立つといふばかりにやみ吉野の山も霞みて今朝は見ゆらむ
                   壬生忠岑拾遺集
  我が宿の梅にならひてみ吉野の山の雪をも花とこそ見れ
                  凡河内躬恒拾遺集
  吉野山消えせぬ雪と見えつるは峰続き咲く桜なりけり
                   読人不知『拾遺集
  吉野山こずゑの花を見し日より心は身にもそはず成(なり)にき
                     西行山家集
  吉野山やがて出でじと思ふ身を花散りなばと人や待つらむ
                    西行新古今集
  吉野山去年(こぞ)のしをりの道かへてまだ見ぬ方(かた)の花を
  たづねむ              西行新古今集
 この西行の歌の碑を右上の画像に示す。


  西行の庵の跡と伝へたり谷見下ろせる奥吉野山
  西行の住みし歳月いかならむ往き来に難きみ吉野の奥