わが歌枕―吉野山(3/3)
歴史的な話題としては、☆672年、大海人皇子(のちの天武天皇)は、当時の大津の都を離れて出家して吉野山に隠棲した。☆1185年冬、源頼朝の討伐を受け、義経・弁慶らは吉野山に身を隠した。☆1336年、後醍醐天皇は神器を持って京都を逃れ、吉野山に別の朝廷(南朝)を置いた。等々。
吉野山峰の白雪ふみわけて入りにし人の跡ぞ恋しき
静御前『吾妻鏡』
見てもなほおくぞゆかしき蘆垣のよし野の山の花のさかりは
後嵯峨院『続後撰集』
わが宿とたのまずながら吉野山花になれぬる春もいくとせ
長慶天皇『新葉集』
吉野山すずふく秋のかり寝より花ぞ身にしむ木々の下風
細川幽斎
もろこしの人に見せばやみよし野のよし野の山の山ざくら花
賀茂真淵
ゆふつづのか行きかく行き見れど飽かぬ吉野の山の山桜花
河津美樹
よしの山霞のおくは知らねども見ゆる限りは桜なりけり
八田知紀
雨の日に来りてやどる吉野山竹林院の紅梅のはな
岡 麓
古(いにし)へを恋つつ吉野の山を行く吾(われ)をゆるせり
国ゆとりありて 土屋文明
吉野山篠突く雨にふくろふの夜鳥は鳴きて声若々し
初井しづ枝