天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

わが歌枕―鎌倉山

現代の鎌倉山にて

 鎌倉市にある。現在では桜の名所として知られるが、昔は鶴ケ丘八幡宮の後方にある山という通説であったらしい。道の辺にある大きな石碑「鎌倉山記」には、「(前九年の役 後三年の役の頃)鎌倉郡ヲ周辺シタル群峰ヲ概称シテ鎌倉山ト言フ」とある。つまり平安時代後期には鎌倉をとり囲む山々を鎌倉山と大まかに称したらしい。なお、「鎌倉山記」には、平将門天慶の乱から鎌倉山に別荘が切り開かれた昭和の初め頃までの事が書かれている。


  薪伐(たきぎこ)る鎌倉山の木垂(こだ)る木をまつと汝(な)が
  言はば恋ひつつやあらむ       東歌『万葉集


  忘草刈り積むほどになりにけり跡も留めぬ鎌倉の山
               藤原公任『大納言公任集』
  かき曇りなどか音せぬほととぎす鎌倉山に道やまどへる
                   藤原実方『実方集』
  我ひとり鎌倉山を越えゆけば星月夜こそうれしかりけれ
                    常陸『永久百首』
  *『永久百首』: 平安後期の歌集で2巻からなる。永久4年鳥羽天皇
   の勅命で藤原仲実ほか6人が編集した。


  寺々のかねのさやけく鳴りひびきかまくら山に秋かぜのみつ
                       金子薫園
  *この歌碑が長谷・高徳院(長谷大仏)の境内にある。


  しづやしづ静の舞を今の世の八幡宮の舞殿に見る
  義貞の軍に追はれしもののふ鎌倉山を敗走したり
  鎌倉の歴史つらつら記したる「鎌倉山記」にさくら花散る