天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

わが歌枕―武蔵野(1/3)

多摩川にて

 現在の東京都、埼玉県に神奈川県の一部を含めた広大な洪積台地の地域を指した。武蔵野の名は「武蔵の野」ということからきている。武蔵国周辺のいわゆる東人たちが、名付けたのであった。「武蔵野」の名が初めて現れるのは万葉集の「東歌」で、彼らの詠んだ歌が編まれている。うけらが花・雉、露・霜・風・月とともに詠んだ歌が多い。
 京都の高級公卿で太政大臣にもなった藤原良経が、見たことも行ったこともない武蔵野をよく詠んだところに歌枕の役割・意義がうかがえる。


  恋ひしけば袖もふらむを武蔵野のうけらが花の色に出づなゆめ
                    東歌『万葉集
  武蔵野の小岫(をぐさ)が雉(きぎす)立ち別れいにし宵より
  背(せ)ろに逢はなふよ      作者不詳『万葉集


  紫のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る
                  読人不知『古今集
  武蔵野は袖ひつばかり分けしかど若紫はたづねわびにき
                  読人不知『後撰集
  武蔵野の草のゆかりと聞くからにおなじ野辺ともむつましきかな
                     『古今六帖』
  武蔵野にわがしめゆひし若草を結びそめつと人や知るらむ
                藤原仲実『堀河百首』
  武蔵野のうけらが花のおのづからひらくるときもなき心かな
                 藤原清輔『清輔集』
  武蔵野に雉(きぎす)も妻やこもるらむ今日の煙の下に鳴くなり
               藤原良経『秋篠月清集』
  若草のつまもあらはに霜かれて誰にしのばむ武蔵野の原
               藤原良経『秋篠月清集』
  ゆくすゑは空もひとつの武蔵野に草の原より出づるつきかげ
                藤原良経『新古今集
  よそにだに露ぞこぼるる武蔵野の草のゆかりをおもひこそやれ
                 難波頼輔『頼輔集』


  武蔵野を軍馬引き連れ駈けて来し新田義貞鎌倉を討つ
  武蔵野の原を流るる川の辺に巨人の二軍球場はあり