福島県白河市にある陸奥の歌枕。いわき市にある勿来の関とともに平安時代の重要な関所であった。ここを越えると陸奥(みちのく)になるので、様々な感懐が歌に詠まれた。
たよりあらばいかで都へつげやらむ今日白河の関は越えぬと
平兼盛『拾遺集』
都をば霞とともにたちしかど秋風ぞ吹く白河の関
能因『後拾遺集』
白河の関屋を月のもる影は人の心をとむるなりけり
西行『山家集』
都出でてあふ坂越えし折までは心かすめし白川の関
西行『山家集』
都にはまだ青葉にて見しかども紅葉散りしく白河の関
源頼政『千載集』
見で過ぐる人しなければ卯の花の咲ける垣根や白河の関
藤原季通『千載集』
東路(あづまぢ)も年も末にやなりぬらむ雪降りにけり白河の関
印性『千載集』
白川の関より奥に入らむ旅野くれ山くれ日数あまたへむ
橘 曙覧
白河の関趾にしばしいこひたりおそふ蚊のなき古木々の下
佐藤佐太郎
これよりの旅寝の奥やいかならむ秋風ふきぬ白川の関
安藤野雁
白河の「白」の関連で卯の花や雪、青葉、紅葉などが取合せられているが、平安時代末期から中世にかけての和歌の常道であった。
これらの歌を踏まえて芭蕉は、「心もとなき日数重なるままに、白川の関にかかりて旅心定まりぬ。・・・」で始る『奥の細道』の白河の関の項の名文を書いた。