わが歌枕―末の松山
末の松山は宮城県多賀城市の末松山宝国寺の背後にそびえる大木の松を指すという(右の画像)。
「末の松山を波が越さない」という背景には、貞観地震(平安時代前期の貞観11年5月26日)の時の津浪のことを意味しているという。つまりその時の津波は、画像に示す松が立っている山までは来なかったのである。貞観地震の再来とされる平成23年3月11日の東日本大震災は多賀城市も襲った。しかし幸いにも今回も波は松山まで来ることはなく、宝国寺の石段が水に浸かったところで止ったとのこと。
君をおきてあだし心をわが持たば末の松山浪も越えなむ
読人不知『古今集』
わが袖は名に立つすゑの松山か空より浪の越えぬ日はなし
土佐『後撰集』
契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山浪越さじとは
藤原元輔『後拾遺集』
荒磯のみるめはなほやかづくらむすゑの松まで浪高くとも
相模『相模集』
松山につらきながらも浪越さむことはさすがに悲しきものを
藤原時平『後撰集』
契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは
清原元輔『後拾遺集』
浦ちかくふりくる雪はしら浪の末の松山こすかとぞ見る
藤原興風『古今集』
いかにせんすゑの松山なみこさばみねのはつゆききえもこそすれ
大蔵卿匡房『金葉和歌集』
あきかぜは浪とともにやこえぬらんまだきすずしきすゑの松山
藤原親盛『千載和歌集』
霞たつすゑの松山ほのぼのと波にはなるる横雲の空
藤原家隆『新古今和歌集』
白浪のこすかとのみそきこえける末の松山まつ風の声
『能因集』
見わたせば浪こす山のすゑの松木すゑにやとる冬の夜の月
『後鳥羽院御集』
老の浪越えける身こそあはれなれ今年もいまはすゑのまつ山
寂連『新古今集』
防災の教訓(おしへ)となすは難かりき観光名所の末の松山
はるかなる沖に海坂見ゆるともここまでは来じ末の松山