わが歌枕―讃岐(白峰)
[追伸]西行の足跡の多くが歌枕になっているが、以下に続く場所は西行の歌を中心にした歌枕で、私が訪れたところである。『歌枕歌ことば辞典増訂版』や『歌語例歌事典』には載っていない。
西行(1118年生)は生前の崇徳院(1119年生)と親しかった。保元の乱の後、崇徳院が讃岐に配流となり46歳で崩じた4年後、西行はこの地を訪れている。上田秋成の『雨月物語』には、西行がこの地を訪れて、怨霊となった崇徳院と対話する「白峰」という話がある。
松山の波に流れて来し舟のやがて空しくなりにけるかな
松山の波の景色は変らじをかたなく君はなりましにけり
よしや君昔の玉の床(ゆか)とてもかからむ後は何にかはせむ
崇徳院の宮居(みやゐ)の跡に佇みて魂を鎮めし白峰を見る
さまよへる帝の魂を鎮めけり歌僧となりし佐藤義清(のりきよ)
歌詠みてみかどの魂を鎮めけり讃岐の山の白峰の墓地