花の詩情(1/6)
まえがき
桜(花)の誘発する詩情を、人の生老病死という四つの局面に則してみてみたい。
中国文化の影響が強かった奈良時代の和歌では「花」といえば「梅」をさしていた。その後、菅原道真の建言により遣唐使が廃止されて(894年)以降、国風文化が育ち徐々に桜の人気が高まってきた平安時代では、「花」とは桜をさすようになった。この状況は万葉集と古今集における梅と桜の歌数を比較してみれば、次のように一目瞭然である。
梅の歌 桜の歌
万葉集(806年完成): 118首 42首
古今集(912年完成): 21首 70首
桜(花)の詩情は、時代によって異なる。古今集は、日本人に何をどう感じるべきかという和歌にとって美意識の典型を示した勅撰集であるが、試みに梅と桜のそれぞれの詠み方の例をみてみよう。
「梅」であれば開花を心待ちにする:
春やとき花やおそきとききわかん鶯だにも鳴かずもあるかな
藤原言直
「桜」では、花の散ることを惜しむ:
ことしより春知りそむる桜花ちるといふ事はならはざらなん
紀貫之
これは古今集の一番初めに登場する桜の歌だが、序盤から「散る」ことに視線が集中している。桜の散る姿に、日本人は古来から強い関心を抱いていた。但し、古今集では「散る花」に、「命」まで見てはいない。惜しむ対象は「命」ではなく、過ぎゆこうとする「春」「恋」であった。古今集から更に三首ほど例をあげておく。
春霞たなびく山のさくら花うつろはむとや色かはり行く
よみ人しらす
残りなくちるぞめでたき桜花有りて世の中はての憂けれは
よみ人しらす
うつせみの世にも似たるか花桜さくと見しまにかつちりにけり
よみ人しらす
桜はあくまでも「晩春を彩る代表的な景物」であり、その花が散ること、つまり「春が終わる」ことを惜しみ嘆いている。
古典和歌で歌人が多く詠んだのは山桜だった。歌人たちは恋の心で花に対した。花を待ち雨風をおそれながら、束の間、花の喜びにひたり、やがてこわれて行く恋と散る花を重ねて、花も恋もとどめることができない、と嘆いた。
以上は和歌(短歌)における花の詠まれ方の例であるが、以下の本文では、江戸時代以降に盛んになった俳句(俳諧)作品を中心に、花の詩情を生老病死のそれぞれの局面で探っていくことにする。俳句によって庶民感情はあからさまに表現されるようになったので、花の詩情は広がって豊かになったのである。