現代俳句の笑いー川崎展宏
川崎展宏は古典的な俳諧(発句)の技法を現代俳句に展開した。自身の人生の終末期も「笑い」の俳句で表現した。失笑、苦笑、泣き笑いが多いようだが。全句集の中の『冬』以後 から例をあげよう。
枯芭蕉厚いおむつをあてようか
表裏洗はれ私の初湯です
セーノヨイショ春のシーツの上にかな
而(シカウ)シテ見るだけなのだ桜餅
両の手を初日に翳しおしまひか
薺打つ初めと終りの有難う
最後の二句は、「俳句」平成二十二年一月号向けに書かれた「白椿」八句にあるもので、死の十三日前に編集部へ送られた。「薺打つ」の辞世句は、芭蕉の句「よもに打(うつ)薺(なづな)もしどろもどろ哉(かな)」を踏んでいると解釈したい。芭蕉は、正月七日未明、七草粥のために七草を俎板の上で叩く音と囃し声がしはじめ、四方(よも)にその数を増して調子が入り乱れた、という目出たい情景を詠んだのだが、展宏はこれを転じて、生死の境にあってしどろもどろながら人々の新年の健康を祈念すると共に、自分の一生涯にこの世でお世話になった人々への感謝の挨拶とした。川崎展宏究極の俳諧精神の表れであった。
[注]本文は、「古志」2014年2月号に発表した評論「スミレと薺」の終りの章から抜粋したものです。