天空のうた(9)
一首目はわかりにくいが、どうせ雪が降るなら袖を通して濡れるくらい降ればよいのに、今降っている雪は、地につかないうちに空に消えているよ、という意味。貫之の歌は、桜が散って風に舞っているいる様子を、海に波が立っているようだと譬えてみせたもの。友則の歌では、「秋」に「飽き」が掛けられている。即ち、「秋になると、あの人の心の中に「飽き」風が吹いて、私への思いが空っぽになってしまうのだろう。」
こと降らば袖さへ濡れてとほるべく降りなむ雪の空に消につつ
作者未詳『万葉集』
さくら花ちりぬる風のなごりには水なきそらに波ぞ立ちける
紀 貫之『古今集』
冬ながら空より花のちりくるは雲のあなたは春にやあるらむ
清原深養父『古今集』
秋風は身をわけてしも吹かなくに人の心のそらになるらむ
紀 友則『古今集』
わが恋はむなしき空にみちぬらし思ひやれども行く方もなし
読人しらず『古今集』
ときのまも心は空になるものをいかですぐししむかしなるらむ
藤原実方『拾遺集』
雲居なる人をはるかに思ふには我がこころさへ空にこそなれ
源 経基『拾遺集』