天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

漱石の俳句作法(2/8)

『漱石・子規往復書簡集』

子規の評と添削
 和田茂樹『漱石・子規往復書簡集』 (岩波文庫)を年次順に、漱石の句稿と子規の添削状況(別表・漱石の句稿と子規の評言・添削)を追ってゆく。
35通の句稿には全部で1,448句があった。一方、永田竜太郎編『夏目漱石句集―則天去私全句』には2,534句が掲載されている。従って、句稿以外に1,086句が作られたことになる。全句稿の1,448句について、子規の評価結果は、◎を付けたもの206句、○を付けたもの317句であった。そして「承露盤」に記載した状況は、次のようになっている。
    季   全句数     承露盤記載の句数  %
    春    773         46     6.0
    夏    323         15     4.6
    秋    799         43     5.4
    冬    556         19     3.4
    新年    56          0     0.0
    無季    27          0     0.0
    (計)  2534         123     4.9
子規は漱石の句稿を添削した後、良いと評価した句を彼のメモ帳「承露盤」に筆写して、漱石に添削後の句稿を送り返した、ということであるらしい。
「承露盤」について、補足しておこう。子規が門人達の佳句を中心にメモした選集で、 明治28年(1895)以降33年(1900)までの作品。子規は必要に応じてその中から、『海南新聞』や新聞『日本』に自分が主宰する俳壇にそれを掲載させていた。子規自筆の草稿は 散佚。寒川鼠骨によって昭和12年(1937)9月に活字化されている。
子規が承露盤を作成した期間は、漱石が松山、熊本において句作に最も熱中した期間でもあった。なお承露盤には、子規に送った句稿に無いものが8句ある。句会などで子規がとり上げたものであろう。句集には入っている。
 以下に句稿の評・添削の例をあげる。
句稿1から
(原句)肌寒や思ひ思ひに羅漢坐す
子規の添削・評: 中七下五「羅漢思ひ思ひに坐す」
句稿4から
(原句)瀑(たき)五段一段毎(ごと)の紅葉かな
 子規の添削・評: 「紅葉かな」に傍線  陳也 拙也
句稿10から
(原句)永き日を巡礼渡る瀬田の橋
 子規の添削・評: 陳腐。但し虚子の○あり。 
句稿20から 
(原句)空に一片秋の雲行く見る一人
 子規の添削・評: 「く」に傍線。 コノツヅキムリナラン
句稿26から
(原句)梁上の君子と語る夜寒かな
 子規の添削・評: ◎。 今日東洋ノ句を閲ス 梁上云々ノ什アリ 貴句ト
一字ヲ違ヘズ太奇 東洋ニ譲リタマヘ


 漱石の句集は、死後1年して小宮豊隆、野上豊一郎らにより編集・出版された。漱石の原句も分るように、子規の添削後の句が掲載されている。