漱石の俳句作法(6/8)
(三) 謡曲の内容を俳句に詠んだ。なお謡と俳諧の関係については、すでに蕉門筆頭の宝井其角はじめ、蕪村の一番弟子であった几董も「謡は俳諧の源氏也」と『新雑談集』で述べている。
漱石の場合を以下にいくつかあげよう。
『平家物語』から
時鳥弓杖ついて源三位
山伏の並ぶ関所や梅の花
六波羅へ召れて寒き火桶哉
川中島合戦を詠んだと思しき句として、
枚をふくむ三百人や秋の霜
短夜や夜討ちをかくるひまもなく
朝懸や霧の中より越後勢
他にも謡曲の言葉使いを入れた句もかなり作った。例えば、「候」
時鳥物其物には候はず
去ん候是は名もなき菊作り
海鼠哉よも一つにては候まじ
漱石は謡曲には熊本時代から入り込んだ。漱石の親しんだのは、宝生流の謡であった。謡の様子を詠んだ例を三句次にあげる。
鼓打つや能楽堂の秋の水
隣より謡ふて来たり夏の月
永き日を太鼓うつ手のゆるむ也
講釈と落語については若年の頃から関心があり、寄席にもよく通った。子規
も落語が好きであった。子規と漱石の交友のきっかけが落語であったと漱石が
回想している。漱石句に多く見られる俗語には、その影響が強く出ている。
(四) シエクスピア劇の一場面のセリフの意味を反映したことも。
文科大学の学生・小松武治がラム姉弟の『シェイクスピア物語』を邦訳
した時、その序文を漱石に依頼した。彼の序文は、シェイクスピアの劇
の中のセリフの一節を取り出し、それに俳句を取り合わせたもの。次に
いくつか例をあげる。
“Lady, by yonder blessed moon I swear, that tips with silverall
these fruit-tree tops.”
これは『ハムレット』5幕3場(墓堀りの場、道化の髑髏と対面して)、
それを次のように俳句にアレンジした。
骸骨を叩いて見たる菫かな
前書の英文の一節を省いて、更に三例をあげる。
『マクベス』2幕1場(ダンカン王殺害の場)から
小夜時雨眠るなかれと鐘を撞く
『オセロ』5幕2場(寝室、デズデモーナ殺害の場)から
白菊にしばし逡巡らう鋏かな
『ヴェニスの商人』5幕1場(法廷の場、新妻ポーシャ男装して判事に
扮す)から
女郎花を男郎花とや思いけん