天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

相聞歌―時代と表現―(1/5)

講談社文庫より

和歌の世界における四季と恋とは、一方が自然の美しさを客観的に眺め、他方が人の心の有り様を見つめるところから生れた二つの大きな主題である。
一般に「相聞」は、時候の挨拶やお見舞いなどを含む消息往来を指す言葉だが、本文でとり上げる和歌における相聞とは、主として恋心をもって消息を通じ合うこと、と狭義に解釈しておく。相聞という限りは、相手に問いかけるあるいは伝える意図のある歌でなければならない。相聞歌の分析には、様々な観点があるが、最初に古典和歌について表現の特徴を概観しておく。次いで具体例に、ここでは結婚をしないで子供を産んだ女性歌人として、古典からは和泉式部を現代からは俵万智を取りあげる。また相聞の相手が歌人である場合として、与謝野寛・晶子夫妻と永田和宏河野裕子夫妻の場合を比較してみる。
時代の推移と表現の特徴に注目するが、一つの結論は相聞歌においては、口語が新鮮で大きな力を発揮するということである。
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万葉集には巻第二の部立に「相聞」があった。そこには五十六首があり、内三首は長歌。一方通行の歌は三十首、やり取りのある歌は十対 となっている。表現様式には正述心緒、寄物陳思、隠喩の三種がある。
万葉集の歌の特徴の一つとして序詞が多い。思う心の象や動きを、身近な嘱目の物や事にたとえて、自らと二重写しの序詞を工夫して直截な伝達を心がけたようだ。相聞歌における一例をあげよう。
  秋山の樹(こ)の下隠り逝く水のわれこそ益(ま)さめ御(み)思ひよりは
                       鏡 王女
*「逝く水の」では格助詞「の」を用いて、「のごとく」を省略するかたちで次の語を呼びだしている。序詞的比喩である。

最初の勅撰和歌集古今集では、万葉集の「相聞」の部は「恋歌」の部に変り、四季部(春、夏、秋、冬)と恋部が中心になった。その詳細な部立は周知のように、春(上下)、夏、秋(上下)、冬、賀、離別、羇旅、物名、恋(一から五)、哀傷、雑(上下)、雑体(長歌、旋頭歌、誹諧)、大歌所御歌 となっている。
以降の勅撰和歌集では、古今集の部立に倣った。そこで二十一代集(全勅撰集)について、恋歌の分布と割合を調べてみた。金葉集と詞花集は十巻からなるが、他の勅撰集は全て古今集と同じ二十巻である。恋部を古今集に倣って五区分したものが十五代集ある。六区分したものは、後撰集と新後撰集。四区分したものは、後拾遺集と続後拾遺集。上下の二区分は、金葉集と詞花集である。恋歌の割合が一番多い歌集は後撰集で四十%、次いで古今集の三十三%。最も少ないのは、後拾遺集の十九%であった。平均すれば二十五%という情況。ちなみに万葉集も含め古典の相聞には、通い婚の時代を反映して待つ女の歌が多い。
古今集の恋の部について内容を見ると、大略次のように五つの位相に区分される。詳細は省略するが夫々で表現上の工夫がある。
(恋一)まだ見ぬ恋 (恋二)現実の恋となりそうでまだ困難な恋
(恋三)忍んで逢う仲の不安な恋 (恋四)相逢う仲となってからのさまざまな歎き
(恋五)恋が終りとなる<あはれ>の数々
万葉集に比べて古今集以降の序詞は、高度化した生活文化が求める要望に従って、装飾性豊かな新しい言語文化を拓いた。このような一首の情感を膨らまそうと工夫された序詞(無心の序、有心の序)の景や独特の場面は、後世の能や歌謡の中に多く継承された。