相聞歌―時代と表現―(3/5)
□
ところで色好みというか複雑な女性関係を持った男性歌人は、近代にもいる。特に鉄幹・与謝野寛の場合は錯綜していた。同時進行的経緯をたどることはやめて、関係した女性たちをあげると、
(1)女学校の教え子・浅田信子(女児が生まれたが夭折)
(2)女学校の教え子・林滝野(同棲・結婚して男児を
もうけるも離婚)
(3)山川登美子(親しくしたが、登美子の方から身を引いた)
(4)与謝野晶子(同棲の後結婚。十一人もの子供が出来た)
浅田信子のことを詠んだ歌は不明だが、林滝野に対しては、不満が次のように歌に現れている。古今集・恋五の位相にあたる。
髪一つみださぬ君にわが手もてかざさむ花もあらぬ別れよ
『紫』
山川登美子の寛に対する恋歌には狂おしいものがあった。
君が手にふれにし日より胸の緒の小琴のしらべたゞにいわれぬ
引き際の悔しさも詠んでいる。素直な隠喩を用いている。
それとなく紅き花みな友にゆづりそむきて泣きて忘れ草つむ
登美子に対する寛の愛情は、彼女の死まで変らなかったようだ。
君なきか若狭の登美子しら玉のあたら君さへ砕けはつるか
『相聞』
結局、寛を捉えたのは晶子の文字通り体当たり的アプローチであり、積極的な相聞であった。二人が詠み交わした歌がどのようなものであったか、それぞれの歌集から想像するしかないが、以下のような例が考えられる。ふたりとも正述心緒の歌が多い。近代相聞歌の代表。
清水へ祇園をよぎる花月夜こよひ逢ふ人みな美しき
晶子『乱れ髪』
返し
京の紅は君にふさはず我が噛みし小指の血をばいざ口にせよ
寛『鉄幹子』
ひとすぢにあやなく君が指おちて乱れなんとす夜のくろ髪
晶子『小扇』
返し
秋かぜにふさはしき名をまゐらせむ『そぞろ心の乱れ髪の君』
寛『紫』
あわただしひと夜泊(と)めての朝なで髪(がみ)君が和泉の
御母(みはは)に泣かる 寛『うもれ木』
返し
をとめなれば姿は羞(は)ぢて君に倚(よ)るこころ天(あめ)行く
日もありぬ 晶子『小扇』
晶子が寛を思う歌は、寛が晶子を思う歌よりはるかに多い。特に渡欧の際の歌や挽歌に心情が顕わである。渡欧の時から一首あげる。
ああ皐月(さつき)仏蘭西(フランス)の野は火の色す君も
雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟(コクリコ)
『夏より秋へ』
次は寛への挽歌になるが、究極の相聞でもある一首。
封筒を開けば君の歩み寄るけはひ覚ゆるいにしへの文
『白桜集』