古典短歌の前衛―酒井佑子論(3/11)
□畳語
畳語とは文字通り言葉の繰り返し(リフレイン)である。オノマトペ(擬態語・擬音語)によく見られる。破調にして読みにくくしても、リフレインによる韻により歌らしさが保たれるのである。土屋文明もよく用いた。二例あげる。
近づけぬ近づき難きあり方も或る日思へばしをしをとして
『青南集』
立ちかへり立ちかへりつつ恋ふれども見はてぬ大和大和とし
こほし 『続青南集』
酒井佑子は、先の表に見るように、年を経るにつれて畳語を多用した。それは正調の歌が減るのと反比例するかのようである。三歌集から二例づつあげる。
美しき叔母なりしかどあなめあなめ小町のごとく老いてさらばふ
『地上』
かの時のかの時の何か言ひたかりけむあはれその顔ぞ目に残りたる
心朽つといふにもあらず騒々とたださわさわと夢にか似たる
『流連』
偏愛者(モノマニヤ)の熱い手はいやさりながら玄人(プロフエシヨナル)
の絹の手もいや
「犬のひとり歩きはいけません」と大看板ひとり歩きの犬ぞ恋ほしき
『矩形の空』
遅るる常に遅るる一本のぬばたまの汽車地平を走る
□対語的用法
対語とは、辞書にあるように、漢語の熟語において相対する概念の語を並べたもので、「夫婦」「開閉」「曲直」などが典型。ここでは熟語に限らずに少し拡張した用法をとりあげる。畳語に隣り合う類似の効果を持つ。酒井佑子の例のみをあげる。
あるいは病みあるいは怨む眷族を措きて来しかば清き街の灯
『地上』
一夜に風が持ち来る桜落葉柿落葉吾は惜しみて掃かず
もの言はで笑止の螢 ち、と水に落つるまで夢や長きみじかき
『流連』
偏愛者(モノマニヤ)の熱い手はいやさりながら玄人(プロフエシヨナル)
の絹の手もいや
川べりのあらくさ年年に同じからず今年多きはゑのころぐさ
風草(かぜくさ) 『矩形の空』
招魂社にお嫁に行くととん子すん子言ひき招魂社はめでたかりけむ
□外国語・カタカナ語
外国語をそのままの表記であるいはカタカナにして短歌に読みこむことは、明治の与謝野晶子以来、北原白秋、斎藤茂吉なども盛んに実行した。短歌という日本古来の古い伝統様式に、こうした目新しい表記を取り入れることも短歌革新のひとつであった。酒井佑子の例も三大特徴の一つといえるほど多い。三例づつあげる。
悲しめる吾のこころにしみとほり現し世ならぬアレルヤの声
『地上』
エアコンディショナーしつらへてヒト科ヒトの檻外(と)には
寂かに夏猛りつつ
*科学の分野では、植物や動物など分類上の名詞をカタカナにするきまりが
ある。
わくらばに二人相寝てincestの語を思ふまで年古りにけり
月の凧(ワウ・ブーラン)といふ凧あがる何のゆゑかこの夜むなしき
心の空に 『流連』
999(スリーナイン)の終り思へば茫々たりかの Express いづく行きしや
一年ののちに来たれば変らざる飴ん棒回りBARBARセ・ノヤ
(せびりや)
熱ある夢にうちかへし滑空機の翼(よく)のシンメトリ テイクオフのとき
『矩形の空』
英字ビスケットそのI(アイ)の字の砂糖衣(フロステイング)うす
ももいろの今にかなしも
中央道のいちばんさびしいICの相模湖東を昼ふたり出づ
*この「IC」とは「インターチェンジ」のこと。