古典短歌の前衛―酒井佑子論(4/11)
□直喩
喩法は和歌の生れた時代から、主要な技法のひとつであった。
特に直喩がそうである。隠喩については、現代の前衛短歌が多用し、
主要な技法にした。酒井佑子の場合は、分りやすい直喩を使用して
いる。
三首づつ例をあげる。
身のうちに痛みあるごとく起き出でて常よりきよく吾の立居す
『地上』
マンションの窓のくらがりざふきんのやうなる犬が外を見てゐる
よろこびつつ氷は溶けて闇中にかがやくばかり二個の扁桃
葡萄色のシート丹念に継布(つぎ)なして旧き刀創のごとき一つあり
『流連』
さう長くは生きざるべしと思へれば夢に似て一日ひと日さやさや
地に伏してわがある上に時は過ぎ大いなる旗の如かり時は
予報士の言ひしごとくに美しき日となりぬ予報士になりたしわれは
『矩形の空』
憐憫(れんびん)の涙出でむとして難く濡れた雑巾の香は立つこころ
猫がもて来る土産さまざまこの夜半は薔薇の花に似た鼠の首(かうべ)
なお隠喩の例は直喩ほどではないがいくつもある。
あわ立ちて波退くときに繊き幹、肢(えだ)揉まれつつ少女抗ふ
『地上』
*「繊き幹、肢(えだ)」は、少女の肢体の比喩。波打ち際で少女が遊んでいる
海水浴の情景。少女は一人娘の恵子さんであろう。
憂鬱の蜜に籠りて月経りけりめぐりふかぶかと真木生ひ立ちて
*憂鬱な日々が続いて周囲の季節は、夏に変ってしまった。ただその憂鬱の
原因は甘美なことだったようだ。
日の真昼鳶は澄みつつたかぞらに幻のドアひらけるが見ゆ
*「幻のドアひらける」とは、鳶の身にとってのことと想像したのだろう。
大いなるいしゆみありて胸のうちに弧を張りにけりわが息や已(や)む
『流連』
*胸の内の「大いなるいしゆみ」を、息をつめて張るとは、何か大望の
目標を定めたということであろう。
男てふ幼きもののまさびしき円周の内に連れられてゆく
*この時の作者は男を「幼きもの」と感じていた。「まさびしき円周の内に」
とは、その時の男の寂しい企てに同意してついて行ったということだろう。
時の岸にわが下り立ちてわかくさの小鹿(をしか)といねし百日百夜
(ももかももよ)は
*初句二句は、何かの機会にたまたまという感じ。「わかくさの小鹿
(をしか)」は、少年か少女を指す。少女のような気配がする。
三か月ばかりを共に生活したと解釈する。
むかし長くわが飼ひたりし鬱の熊剛(こは)き灰色の毛をもてりけり
『矩形の空』
*長い間鬱状態にあったことを思い返している。その鬱は灰色の剛毛の熊
のように凶暴で容易には退散しなかった。
雨の日に心清明すとふハムレット 寛衣(くわんい)着てわれは痛きを蔵ふ
*シェイクスピアの悲劇の主人公ハムレットの心は、雨の日にかえって
清らかに晴れたというが、作者は大きめのゆったりした衣服を着て身体
の痛みを納めている。苦しみを乗り越える心の持ちようを詠っている
ようだ。
ステンレスシンクの底にひとひらの水の舌夜を籠めて乾かず
*台所のステンレス製の流しの穴を覗きこむと溜っている水の面が見える。
一夜経っても乾くことはない。誰しもそんな経験があるのではないか。