天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

古典短歌の前衛―酒井佑子論(8/11)

往年の沢村栄治

□老の歌
  赦されしとまだ思はなくに玉の緒の細りゆく父を
  如何にせよとか             『地上』
*「赦されしとまだ思はなくに」をどう解釈するか。余命いくばくも
 ない父なので好きなようにさせてあげて、というわけでもないが、
 それでもどうしようもない、という嘆きであろうか。


  みたらしにはつかの塵の浮けるところうつつなき母ぞ石に躓く
  みづからの名を忘れたる父のへに日すがら甘く母のもの言ふ
*なんとも悲しい夫婦の光景である。鑑賞の言葉もない。


  移り来し文化住宅に解きがたき古荷の中に古き母あり
                      『流連』
*「古荷の中に古き母あり」とは、むごい表現のようだが、老への感情の
 一端がうかがえる。まあ、ユーモア表現としておけば気が楽になる。


  衰ふる乳(ち)をつかのまはうつくしみおしぬぐひけりあはれ垢づく
*女性が老いを感じる時の歌。なんともリアルで切実感がある。


  悦びといふに遠からぬ納得をせりしづしづと衰ふる体(たい) 
                    『矩形の空』
*年齢と共に衰えてゆく身体に対する悟りに近い感覚であろう。


  枕の上より見る姉の顔同じはかなき遺伝あらはるる七十(しちじふ)の顔
  然(さ)ばかり昔名ありし馬の年長けてしとしとと白き睫毛をたたく
*競馬で一世を風靡した名馬も年をとると睫毛まで白くなる。余命を淡々と
 生きる馬への愛情が感じられる。


  ピッチャーは撫で肩がよしふたつなきピッチングフォーム残り人老ゆ