古典短歌の前衛―酒井佑子論(10/11)
□死の歌
ほほゑみてもの言はす声はつはつに耳に残りて遠き面影
『地上』
*五味和子夫人の死の報に接しての思い出であろうか。
輸送船に死にて骨だに還らざりし右腕長かりし巨人軍投手
*叔父にあたる(叔母さんの夫)澤村栄治のこと。
みひらける灰色の眼に涙たまり涙溢れて終るわが父
*父上の臨終に際しての歌であろう。読者の言葉は不要。
谷蟆は谷より出でて雨のあした舗道の上に死ににけりあはれ
『流連』
君亡くて二十日を経たり月失せてまた顕はるる極月の天
*君とは誰のことか分らなくても、死者と時間推移の関係が月や天空により
表現されている。
棺を覆ひてのち密々に捧ぐべき言葉 君にあり 汝になし
*君と汝が使い分けられている。君は敬語、汝は目下への卑語。
「汝になし」とは、相手への憤りだろう。棺の中の人に対する生前の振る
舞いからきている感情か。
きのふ在りてけふ亡き人の半歳(はんさい)に七たりを越ゆ九(く)階
西病棟 『矩形の空』
*入院していると患者の誰かれのことを知ることになる。昨日まで生きて
いたのに今日はもう無くなっている、という人の数が半年の内に七人を
越えたという。作者の病室は九階西病棟にあった。
かの人もかの人もさも苦しまず終りきと聞くこころ喜ぶ
ママさんバレーの主将でありし金慶玉堆(うづたか)き浄き骨となりたり
*金慶玉は病院で作者と十カ月間同室であった。歌の内容からは、作者が
金慶玉の火葬に臨場したようにとれるが、実際はそうではないだろう。
下句は金慶玉の体格や人柄からの想像である。一種のエール。