天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

俳句と短歌の交響(1/12)

正岡子規(webから)

まえがき和歌や短歌の詞書が果たす役割について関心を持ったのがきっかけで、その変遷を調べたことがある。簡単に言えば、和歌の時代には、歌を詠む背景が詞書になった。ところが現代になって、詞書と短歌が響き合い、詩として一体化する流れが出て来た。その良い例が、短歌の詞書きに俳句をおくという形態である。
本論では、一体化の可能性をさぐる観点から、特に俳句と短歌のそれぞれの役割とコラボレーション、交響について具体的に検証したい。そのため、俳句と短歌あるいは詩といった複数の分野で作品を残した文人たちを取りあげる。
 本歌取りにせよ詞書にせよ、両者を並べて鑑賞する際には、交響の具合を、省略・充実・転調・対比・反転・展開といった観点から吟味することが肝要である。作者の意図とは異なる解釈が出て来ても、交響をたのしめればそれで目的は達せられる。


改作について
初めに、作家自身の作品について、俳句から短歌へ、逆に短歌から俳句へ 改作した場合をとりあげる。もちろん、改作ではなく、同時に作ってみた例もあるはずである。句集と歌集に分けて別個に編集されると分らなくなるが、創作の実態として改作はあり得る。この場合、両者を敢て並べて見ることで、それぞれの役割・特徴を明らかにできる。
分りやすい例として、正岡子規の俳句と短歌はどのような関係にあったかを見てみたい。歌集と句集を調べて、同時期に作られた同じ事象を詠んだ作品を見比べてみる。
明治二十六年の作として。最上川を舟で下る時
  草枕旅路かさねてもがみ河行くへもしらず秋立ちにけり
     旅人や秋立つ船の最上川
明治三十年の作として。愚庵和尚から柿十五個もらった時。
  御仏にそなへし柿ののこれるをわれにぞたびし十まりいつつ
     御佛に供へあまりの柿十五
明治三十一年の作として。病中、鏡に対した時。
  昔見し面影もあらず衰へて鏡の人のほろほろと泣く
     写し見る鏡中の人吾寒し
 いずれの場合も、短歌が俳句の内容をカバーしているので、交響という関係にはない。短歌では抒情性が、俳句では核心描写が、それぞれ際立っていることがよく分かる。